スロー・フォックストロットの歴史
十九世紀のヨーロッパではダンスはやや衰退気味でした。
もっと自由に踊ってみたい!という思いが民衆の間にくすぶっていたとき、颯爽と登場したのがあのヴァーノン&アイリーン・カッスル夫妻でした。
彼らの、まったく新しいタイプのダンスを目の当たりにしたパリの人々は、ダンスの難しさに悩まされ続けていた鬱憤を晴らすような思いがしたに違いありません。
あっという間にカッスル・ウォークはパリ中で大流行となりました。
一九一四年、アメリカに戻ったカッスル夫妻は全米ダンス・エキシビジョンツアーを敢行。全米各地で大反響を呼び、フォックストロットのスタイルが確立されていきました。
フォックストロットのブームはイギリスにも及びましたが、当初の評判は様々でした。
それでもその踊りやすさのためか、各地のダンスホールで踊られるようになり、第一次大戦に入ってもなお広く親しまれました。
そして一九一七年、アメリカが大戦に参加することで、フォックストロットの人気は確たるものとなりました。
新しい音楽ジャズが上陸したからです。
歓楽街は兵士の士気を鈍らせると閉鎖され、ニューオーリンズのジャズメンが進展地を求めてシカゴやヨーロッパへと旅立って行きました。
そしてジャズとフォックストロットが結びついて、一大旋風が巻き起こったのです。
こうした社会の動向に対応し、イギリスのダンス教師協会はダンスの競技化を打ち出しました。
ダンス競技の端緒は、フォックストロットから開かれたのです。