チャチャチャの歴史
チャチャチャの流行は日本中の若者を狂乱させたマンボの後にやってきました。
一九五〇年代半ばから末にかけてのことです。
チャチャチャの登場によって、それまでの異常なまでのマンボ熱が冷めてゆきました。
マンボ、チャチャチャともにキューバ生まれの音楽で、リズムをはじめ多くの点に類似性がありますが、かもしだす雰囲気はかなり異なります。
その原因は、マンボは黒人、チャチャチャは白人の影響をより強く受けているからです。
チャチャチャが生まれたのは、一九四〇年代初頭のことですが、当時それはダンソンの再来といわれました。しかし、チャチャチャの登場はダンソンのときよりはるかに新鮮でした。上流階級から民衆までのあらゆるキューバ人をとりこにし、その人気はキューバ全土から周辺の中米諸国にまで及びました。
彼らの踊るチャチャチャは見るからに楽しげです。
こうした表現が生まれるのはやはりその曲調のためでしょう。
音楽はゆっくりめですが、ティンバレスやギロなどの打楽器のスタッカートな音色が、踊りを生き生きしたものに駆り立てるのです。
キューバや中米諸国で絶大なる人気を得たチャチャチャの影響は、欧米や日本にも飛び火しました。
その後社交ダンス向けにアレンジされるなどして、一九六〇年代初頭にはダンス競技会にも取り入れられ、現在ではラテン競技のオープニングを飾るファーストダンスとしておなじみです。