パソドブレの歴史
パソドブレが生まれたのはスペイン。
闘牛において、牛とマタドールが入場するときに奏でられる勇壮な楽曲の総称として名づけられたのがはじまりです。
長い歴史を持つ闘牛ですが、パソドブレが取り入れられはじめたのは、その担い手が貴族から民衆へと移行する十八世紀ごろのことでした。
パソドプレの演奏は当初、軍楽隊が担っていました。
闘牛の闘牛の技術が確立されて民衆の間で人気が高まるとともにパソドブレの重要さは増し、専門の吹奏楽団が次々と結成されました。
スペインのオペレッタであるサルスエラもまた、ほぼ同時期に民衆に広まり、作曲家はその人気を確かなものにするためにパソドブレを組み入れていったのです。それまでマタドールの入場曲、闘牛を盛り上げるBGMに過ぎなかったパソドブレは、新たに舞台上の歌舞曲として民衆に広く親しまれるようになりました。
民衆のダンスとしてパソドブレが開花したのは、欧米の各都市で一斉に享楽的文化が栄えた第一次大戦後、一九二〇年代のことでした。
彼らが思い思いに踊り始めたものは、まもなく「スパニッシュ・ワンステップ」という呼び名で広まってゆきました。
このスパニッシュ・ワンステップは当時世界の文化の中心といわれたパリに渡り、タンゴやフォックストロットの後を追うように大流行しました。
パリでは、もともと音楽名だったパソドブレがダンスの名前としても定着しました。
パソドブレの流行はパリからロンドン、ベルリン、ニューヨーク、さには東京へとほぼ同時期に広まりました。この頃はまだ、男女が向かい合って組んでただ行進しているような単純なステップが一般的だったようで、現在のような踊り方は、第二次大戦後、イギリスのダンス教師協会が中心となってまとめられ、教本「ラテン&アメリカンダンス」のなかであらためて記されたことで、それは社交ダンスのパソドブレの標準的な踊り方として定着していきました。