ジャイブの歴史
ニューヨーク・マンハッタンの北部に位置するスラム街、ハーレム。
この地区はかつて、少なくとも二十世紀の初頭までは、白人中産階級の閑静な住宅街でした。ところが第一次大戦の勃発をきっかけにアメリカ北部の各都市は労働力不足に陥り、南部の農村から大量の黒人を受け入れざるを得なくなりました。
ニューヨークやシカゴといった大都市ほど黒人労働者の流入は激しく、大戦の終わった一九二〇年代のハーレムは、すっかり黒人の街に様変わりしていました。
このハーレムを震源地に、さまざまな黒人文化がニューヨークを賑わせはじめました。
なかでもとくに当時のニューヨーカーたちを震撼させたのが、ジャズ音楽でした。
戦争から解放され享楽ムードに沸くニューヨーク、林立するバーやキャバレー。
そこにはきまってジャズが鳴り響き、みな時を忘れて踊りました。
ジャズが流行した頃はフォックストロットがよく踊られており、その後、チャールストンというダンスが生まれ、これにも飽き足らないニューヨーカーたちは、女性を左右にくるくると回るダンスを流行らせ、リンディホップと名づけられました。
リンディホップの人気は世界恐慌の逆風を乗り越え、三〇年台に入ってからも衰えず、スイングジャズの速いリズムにマッチするように変わってゆき、それはジッタバーグと呼ばれるようになりました。
四〇年代に入り、アメリカ兵によりヨーロッパに新しいジッターバーグのステップが伝えられて洗練され、それをジャイブと呼ぶようになりました。
日本では「ジッターバグ」の呼び名は難しすぎたのか、定着せずに「ジルバ」が一般化しました。これは外国人には通じない和製英語なのです。
ジルバの人気は戦後しばらく続き、一九五〇年に入りラテンブームが訪れてようやく下火になりました。
しかし五〇年代後半にエルヴィス・プレスリーが登場し息を吹き返します。
ジルバが競技会向けに改良されたのは六〇年代末のことでした。
イギリス人教師ウォルター・レアードらが中心となり、基本ステップの定型化と審査ポイントの計画化が図られ、ついに五種目めのラテン競技「ジャイブ」が誕生したのです。