ワルツの歴史

バレエと社交ダンスは現在、全く異なる種類のダンスとしてとらえられていますが、もともと不可分なものでした。ともにヨーロッパの一地方に生まれた民族舞踊を、宮廷に取り入れた舞踏会を起源とするもの。

それが、観る者と踊る者に区別されるものになったのは、十五世紀から十七世紀なかごろにかけてのフランスにおいてでした。ルイ十四世は、王立舞踊アカデミーを設立し、舞台芸術としてのバレエの創作活動を本格化させました。これ以後、バレエは人々の干渉に堪えうる芸術となるために、急速に技術を発展させてゆきました。そのもっとも重要な基礎が、五つのポジション(立ち方)です。

この技術はバレエの草創期に考案されたものですが、意外にも専門家以外の人々が踊る舞踏会においても、その技術は準用され、二十世紀初頭までの長い期間、市民の舞踏、社交ダンスを規定し続けたのでした。ルイ十四世時代から続いてきたこの常識は、一九一〇年代に覆されます。

Go as you please(好きなように踊ろう)の主張が、イギリスの若い踊り好きのあいだで高まったのです。

自由に踊ろうとする気運が高まりはじめたさなか、自由を謳歌する新しい国・アメリカからボストン・ワルツという新種のダンスが伝わりました。

それはヨーロッパのウィンナー・ワルツがアメリカに渡り、広大かつ雑多なアメリカ文化にもまれて、まったく別種のダンスにリニューアルされたものでした。

ウィンナー・ワルツが非常に遅い三拍子に合わせて、勢いよく回転し続けるアップテンポなダンスであるのに対して、ボストン・ワルツは、ゆったりとした三拍子のなかで、滑らかな波状運動を繰り返すのが特徴。ボストン・ワルツの到来は、ウィンナー・ワルツしか知らなかった当時の踊り手にとって、衝撃だったに違いありません。ボストン・ワルツの流行は、社交ダンスをバレエの技術から完全に解放しました。

そして、難しい技術のために離れかかった踊り手を再び舞踏場に呼び戻したのです。

これ以降、ヨーロッパの舞踏会や街のダンス場では、もっぱらバレエの技術とは無関係の新しいダンスが踊られるようになりました。

南米からはタンゴ、北米からはフォックストロットがまもなく伝わり、その極めつけがチャールストンの狂乱でした。ダンス場はほとんど無秩序となり、そこで、今度は逆に、イギリスのダンス教師協会を中心に、社交ダンスの種目とステップの整備が開始されました。その最初の会合において、整備の対象に挙げられたのが、フォックストロットとボストン・ワルツでした。

このダンスの競技化を通じて、ボストン・ワルツは単純に「ワルツ」と呼ばれるようになっていました。

そして現在では、社交ダンスといえばワルツ。というほどにもっともポピュラーなモダン種目として定着しています。

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